館長室より

波 克彦(なみ かつひこ)令和六年十月一日館長就任

館長就任のごあいさつ

このたび斎藤茂吉記念館の館長に就任いたしました波克彦でございます。浅学非才ではございますが精一杯記念館の発展に務めて参りますので、秋葉四郎前館長に賜りましたご支援と同様、引き続きご支援・ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。

小生は、歩道短歌会において、斎藤茂吉先生に師事された佐藤佐太郎先生に長く師事して参りました。その意味で茂吉先生の孫弟子にあたるということができるかと思います。

館長就任にあたって茂吉記念館を訪れ、改めて平成二十二年八月に、前館長率いる歩道短歌会で、茂吉のふるさと上山「講演・記念館見学・吟行の会」(略して「上山の会」)を催して、北は青森県、南は九州の福岡県、宮崎県、大分県、熊本県、四国・中国は徳島県、山口県、広島県からと全国二十一の都府県より百名近くの参加者を得て、記念館や宝泉寺を訪問し、また、平成二十二年度記念館第一回公開講座に参加したことが懐かしく思い出されます。

佐藤佐太郎先生は、茂吉先生の歌について、〈先生の歌は、「万葉調」と「写生」とを根本として成りたち、語気、言葉のひびきを最も重んじた歌人であった〉と、自著『茂吉秀歌』(岩波書店)上巻に書いておられます。また、同著において佐太郎先生は、茂吉先生の一首「ひんがしはあけぼのならむほそほそと口笛ふきて行く童子(どうじ)あり」の解釈にあたって、〈短歌は一首は一首の世界をもって独立しているものであるから、読者は田園のあけぼのとして受け取ってもかまわない〉と述べておられます。佐太郎先生は、更に、次の一首「なげかへばものみな暗(くら)しひんがしに出づる星さへあかからなくに」について、〈大正二年作。「おひろ」と題された恋愛相聞の歌四十四首中の第一首である。この一連について、作者は「この女性は実在的のものか、或は詩的なものか、或はどう、或はかうといふモデル問題は穿鑿(せんさく)してももはや駄目である。(中略)」(「作歌四十年」)といっている。そういうのは作品だけを受け取ってもらいたいという要求である。一首に表現された言葉だけから、そこに流れているものを受け入れるのが正しい享受であり、その他のことは第二義的なことである〉と述べておられます。

かような茂吉先生や佐太郎先生のお考えに従い、小生は、短歌の鑑賞法として、ゼロからの鑑賞法、あるいは言い換えれば純粋鑑賞法を旨として、短歌を鑑賞することにしております。歌から読み解く茂吉先生の心、ゼロからの鑑賞の勧め、これから歌に親しもうとする人、短歌に必ずしも長く親しんできてはいない一般の人には、短歌を堅苦しく考えないで、是非ゼロからの鑑賞で良いのだと伝えたいと思っています。

小生の八十年の生涯の生活スタイルは、科学の分野においても、スポーツにおいても、音楽においても、生活においても、理論より実践、自分で考えて仮説を検証することにありました。小生は文学研究者ではありません。かつて自然科学の分野に身を置いた一研究者の時も、自分で立てた仮説の検証という実践をベースに、また体を動かす野球やゴルフなどのスポーツにおいても理論より実践、ピアノやフルートの演奏においても実践あるのみで生きて参りました。短歌においても、目で見、耳で聴き、体(五感、八感)で捉えて作歌する実践を中心とし、ゼロからの鑑賞という直接鑑賞、直接作歌あるのみを旨として参りました。ですからこれからも、歌の一首一首の鑑賞においても、背景情報を知ることなく(少なくとも過度に追及することなく)、どんな歌・作品でもゼロからの鑑賞法・純粋鑑賞法を一義的鑑賞法として重視して参りたいと考えております。

波 克彦
令和六年十月一日館長就任